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AK‐47 最強の銃 誕生の秘密 (吹替版) Amazonプライム

AK‐47 最強の銃 誕生の秘密 (吹替版) 2020 1時間44分

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戦車担当の兵士、カラシニコフは1941年、独ソ戦の前線で重傷を負い、前線から引き戻されてしまう。

入院中、カラシニコフは自身の前線での経験や、同じく前線で活躍していた兵士たちの声を聞くにつれ、国を守り、戦争に勝利するためには優れた自動火器が必要だと考えるようになる。

元々幼少の頃から何かを作ることが好きであったカラシニコフは独学で銃器設計を学び、やがて伝説となる武器の最初のスケッチを描く。その武器こそが世界で最も有名なアサルトライフルAK-47であった。

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カラシニコフについては、ここが詳しいです⇩

www.huffingtonpost.jp

ソ連がドイツと戦い始めて間もなくの1941年10月、ソ連軍の戦車長だったカラシニコフ氏は戦闘で負傷した。その際、ドイツ軍に比べてソ連軍の自動火器が劣っていることを痛感し、新しい銃の開発を決意した。

戦いは1945年、ソ連側の勝利で終わった。戦争には間に合わなかったが、カラシニコフ氏は1947年に銃を完成させた。それがラスベガスの事件でも使われた「AK-47」だった。AKは、「アフタマート(「自動小銃」を意味するロシア語)」と「カラシニコフ」の頭文字を、47は「1947年」を表している。

戦争が終わってもカラシニコフ銃は重宝された。第二次世界大戦の終わりは、冷戦という名の新たな戦争の始まりでもあったからだ。世界は、ソ連を中心とする共産主義社会主義陣営と、アメリカが率いる資本主義・自由主義陣営とに分かれて対立した。

カラシニコフ銃は性能の高さに加え、構造の単純さと厳しい気候条件でも壊れない頑丈さを兼ね備えていた。そのため、ソ連軍だけでなく旧共産圏に広く普及。シリーズ化もされ、様々な改良品も造られた。

旧ソ連とロシアを通じて直接製造されたカラシニコフ銃は約7000万丁。他国によるライセンス生産分も含めると、約1億丁が造られたという。これだけでもおびただしい数だが、膨大な数の非正規品も出回り、紛争やテロ事件などで使われるようになった。戦後、多くの人の命を奪い続けたのは核兵器ではなく、一つの自動小銃だった。

イジマシュが工場近くに建てた自社の博物館には、カラシニコフ氏が開発した歴代の銃や、国から贈られた賞状やメダルなどが飾られている。取材していると、子どもたちがぞろぞろとやって来た。地元の学校が社会科見学先にしているとのことだった。ロシア人にとって、彼はまぎれもない英雄なのだ。

彼は生前、自分の銃がテロリストや武装勢力に使われていることについてロシア人記者から問われ、こう答えている。「私は祖国を守るために銃を造ったのであって、武装勢力の紛争のために造ったのではない。もし武器が不正義の戦争に使われているのだとしたら、それは開発者ではなく、政治家たちの責任だ」

だが、カラシニコフ氏は苦悩していた。亡くなる8カ月前、彼はロシア正教会トップのキリル総主教に次のような手紙を送っていた。「私には、堪え難い心の痛みが一つあります。それは未解決の問題です。もし私の銃が人々の命を奪ったとしたら、たとえその人たちが敵であったとしても、信仰上の罪があるのでしょうか」

《同記事より抜粋》

祖国を守りたいという一心で作られた銃でしたが、結果的にはその後テロリストや紛争に使われ、多くの命を奪ったことは明白な事実です。武器ですからね。

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自分で試し撃ちをするミハイル。f:id:rmenx13:20220208192411j:plain

ミハイル自身、銃には詳しいが図面は書けないので、エカテリーナが設計を担当しました。素敵な女優さん。のちに結婚します。

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自叙伝的な映画ですが、AK-47が誕生した経緯が分かるので、興味のある方はどうぞ、御覧になってください。