現在、運動会シーズンですが、最近では短縮して午前中に終わってしまう学校もあるとか。
そうなると、お弁当を作らずに済みます。
これは負担が軽くなりますね。
息子が小学校に通っていた頃、うちの妻は友人らと小学校の門を乗り越えて、校庭の席取をしたことがあるそうです。
今だったら、絶対に許せないですよね。
そして、校庭で一緒にお弁当を広げて食べる。
昭和の風景です。
ところが、今はお弁当タイムはないし、たとえお弁当があっても祖父や祖母なども交えて家族で食べることも出来ません。
それは、親が仕事で運動会に参加できないという人が増えたからです。
家族と一緒に食べられない子がいる。
それでは可哀そう。
では、クラスの子どもたちだけで食べよう・・・・という構図です。
近所の小学校でも午前中で運動会が終わってしまったようです。
しかも、リレーはなし、徒競走はあっても順位をつけない。
危険な組体操も緩やかになりました。
つまり個人が競い合うことをしないように変更されたんですね。
リレーも足が速い子だけのスペシャルメニューなので、カットです。
少し前にこんな記事を読みました。
「運動会は公開処刑?」という記事です。
「処刑」とは言い過ぎですが、なるほど一理あります。
先生方は工夫して、タイムの同じような子同士で競わせるのですが、それでも苦痛。
徒競走は速く走れる子どものステージですから、遅い子は目立ってしまいます。
出たくない気持ち分かります。
極論では運動会を縮小しよう、徒競走をなくそう・・・そう考える人が出てきてもおかしくありません。
今、運動会をする意味は?と問われているようです。
ただ、地域によっては今まで通りに行っている学校だってあるでしょう。
でも、体力をつけるには運動が大事。
現代の子どもたちは体力が落ちていると言われていますが、そういう意味でも体育の時間は削られません。
苦手だからやりたくない。
それはちょっと。
苦手でやりたくなければならなくていいというならば、図工だって、音楽だって同じはず。
字が下手な人は書道もかな?
そもそも、国語や算数などの学習そのものが音痴の人だっているでしょう。
そういう自分は物理が苦手でした。
でも、得意不得意があったらやらなくなていいということでもありません。
そもそも、未経験なこと、できないことを学ぶのが学校の役目。
最低限、必要なものはやらせないと。
そうしないと、学校そのもの意味が・・・