宙ぶらりん

気が向いたら・・・・

日本煉瓦製造株式会社工場 渋沢栄一で盛り上がっていますから、ここも・・・

深谷駅はなぜ「東京駅そっくり」になったのか
「レンガの街」として発展した渋沢栄一の生地
2/23(火) 4:51配信 東洋経済オンライン

2月14日から放送が始まったNHK大河ドラマ「青天を衝け」は、日本資本主義の父・渋沢栄一が主人公。渋沢の出生地は血洗島(ちあらいじま)で、現在の深谷市にあたる。
 深谷市の玄関口であるJR深谷駅は、東京駅を模したデザインの駅舎で知られる。東京駅が深谷市産のレンガを大量に用いている縁から「レンガの街」をアピールする意味を込めて1996年に改築された。明治期、新たな建築材料だったレンガが日本国内に普及するうえで渋沢が果たした役割は大きい。その重要な供給元として発展を遂げたのが深谷であり、そして出荷を支えたのが鉄道だった。
《中略》
早急にレンガの大量生産を軌道に乗せる必要性から、渋沢は出生地・血洗島の隣村の上敷免にレンガ製造工場を設立した。この地を選んだのは、単に渋沢の縁故という理由だけではない。上敷免はレンガに適した良質な土が採取できる。そのうえ、富岡製糸場にも銀座にも近いことから、供給地としては最適との判断があった。

 工場は1887年に操業を開始した。こうして、日本でも本格的なレンガ生産が始まり、本格的なレンガ建築の時代を迎える。そして、このレンガ建築時代を支えたのが、ほかならぬ鉄道だった。・・・
《同記事より抜粋》

大河ドラマは見たことがありませんが、以前、渋沢栄一関係の施設などを訪れたことがありました。

生家・渋沢栄一記念館・富岡製紙工場等々。

そして、

この記事に出てくるのが、「日本煉瓦製造株式会社工場」ここへも行きました。

明治政府は臨時建築局を設置し、ドイツ人建築家のヴィルヘルム・ベックマンとヘルマン・エンデをお雇い外国人として日本に招いた。彼らは都市整備のために良質な煉瓦、ならびにそれを製造する工場が必要であることを明治政府に進言した。これにより渋沢栄一らによって日本煉瓦製造が設立され同工場が埼玉県榛沢郡上敷免村(後に大里郡大寄村上敷免を経て、現在の深谷市上敷免)に建設された。

日本煉瓦製造はドイツ人技師チーゼを招いて1887年(明治20年)に操業を始めた。日本初の機械式レンガ工場であった。

後に太平洋セメントの子会社となり、2006年、日本煉瓦製造は株主総会において自主廃業を決定、清算された。会社清算に伴い、埼玉県深谷市にあった工場の諸施設は、すでに重要文化財に指定されていた「ホフマン輪窯」「旧事務所」「旧変電所」などを含めて所有権が深谷市に移転、同市によって保存・整備されることとなった。

Wikipedia

見学したときの写真⇩

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入り口から左側を見ると、高い煙突が見えます。レンガ工場です。

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内部の様子。ここで作っていたんですね。

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旧渋沢邸「中の家(なかんち)」正門 

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富岡製紙工場。f:id:rmenx13:20210303123835j:plain

大河ドラマの関係で、これらの施設が賑わうかもしれませんね。

早くコロナ禍が終わって欲しい!